発想転換の踏み台

エコでお得な新たなライフスタイルを研究します

日本の政治には「レフト」が足りない~『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』を読んで

 

 

 

f:id:unibiriyani:20211127094322j:plain

【日本の政治家に「レフト」はいない?】

2018年5月に刊行された、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』(著者:ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大亜紀書房を読んだ。

 

3年以上前に書かれた鼎談本ではあるが、ここで示された問題的は今もまったく変わっていないと思う。

 

特に、ずしっと響いた指摘は、日本の政治家には「リベラル」はいても、「レフト」はほとんどいない、ということだ。

 

この本を読むまでは「リベラル」と「レフト」の違いをはっきり認識していなかったが、ざっくり言うと、「リベラル」とは自由主義であり、経済については「市場にまかせておけ」「小さな政府」という立場になる。今の社会では、この立場を推進すると「新自由主義」的な立ち位置となるだろう。「国の借金」を早く返そう、と緊縮財政をとるのもこの立場だ。

 

一方で、「レフト」というのは、「弱者救済」「大きな政府財政出動など公共部門の支出を増やして、人々に分配しようという立場となる。経済学ではケインズ主義の流れを汲み、国の借金はひとまずさておいて財政出動で需要を喚起すれば、やがて景気が回復して税収もアップするからOKと考える。この本では「左派」とも訳されている。

 

旧民主党が言っていた「改革」が、「事業仕分け」などで政府の無駄を削減していく立場だったことや、政権を賭してまで実行した一手が消費増税だったことから考えても、旧民主党を継承し、2021年現在で最大野党となっている立憲民主党は「リベラル」であって、「レフト」ではない。分配、分配と言っていても、あくまで「新自由主義」の枠内で、ということなら、岸田文雄政権と根本的には変わらないことになる。

 

日本では「リベラル」と「レフト」の違いが国民の間で認識されておらず、本当は「新自由主義者」であり、経済的には「右派寄り」である民主党系を「左派」と思っている人が多い。これが、選挙でいまいち与野党の対立構造がハッキリせず、ひいては投票率が上がらない理由なのではないか。

 

これを書いている2021年11月現在行われている立憲民主党の代表選で、こうした「レフト」寄りの主張をする候補が現れてくれたらもっと面白かったのだが、4人の候補のいずれも、経済について踏み込んだ発言はなく、従来の「リベラル」の枠内に収まっていた。「リベラル」から「レフト」まで、もっと党内ダイナミズムのある政党になってくれたら、と思ってしまう。

 

この本で言う意味で言うと、「レフト」と明確に言える傾向があるのは、「共産党」と「れいわ新選組」かもしれない。米国のバーニー・サンダース、英国のジェレミー・コービンのように、もっと政治のメインストリームにこうした動きが出てきたら面白いけれど、どこか〝キワモノ〟的な扱いをされているのが残念に思えてくる。

 

【「右翼」と「左翼」の主張が永遠にかみ合わない理由】

もう一つ、この本で、「なるほど」と思わせられる指摘があった。経済学者の松尾匡さんが提唱している、「右翼」と「左翼」の定義だ。すなわち、

 

「世の中を縦に割って、『内』と『外』の内側につくのが右翼」

 

「世の中を横に割って、『上』と『下』の下側につくのが左翼」

 

となる。昨今の日本で言えば、右翼側の視点では「俺たちは愛国者」、「日本政府の邪魔をするパヨクは反日」ということになる。一方で、左翼側の視点では、「金持ちが支配する世の中がおかしい」と思って現政権と戦っているのに、なぜ、「反日」と叩かれるのか、ということになり、両者の主張は永遠にかみ合わない。両者とも手段は違えど「日本を良くしたい」と思っている人たちでも、お互いに相手側を「悪」と断罪し合ってしまう。とても残念なことだ。

 

こう考えると、「リベラル」とか「レフト」とか、「右翼」とか「左翼」といった固定観念が邪魔をして、議論が停滞してしまっている面もあるのかもしれない。個人的には、サンダースのように「レフト」の政策を堂々と打ち出す政治家がメインストリームに躍り出て、「新自由主義」的な政策とは違う「プランB」を示すことが、今の日本の政治を活性化させるように思う。

 

【今回とりあげた本】

『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』