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なぜ豚や牛がNGなのか。宗教の「肉のタブー」は環境問題と密接な関係があった!?

マルタ・ザラスカの著書『人類はなぜ肉食をやめられないのか:250万年の愛と妄想のはてに』は、多くの示唆に満ちた本だった。特に印象的だったのは、ユダヤ教ヒンドゥー教といった宗教に「肉のタブー」がある理由についての記述。そこから考えると、人類が地球温暖化対策のために肉の消費量を減らすことも、決して不可能ではないのではないかと思えてきた。

『人類はなぜ肉食をやめられないのか』表紙

『人類はなぜ肉食をやめられないのか』(マルタ・ザラスカ著)

人類が肉食を脱却できない理由を一つ一つ解説した大作

フランスとアメリカを拠点に活動するサイエンス・ジャーナリストのマルタ・ザラスカの著書『人類はなぜ肉食をやめられないのか:250万年の愛と妄想のはてに』(訳・小野木明恵、インターシフト)を読んだ。

 

人類、というより生物の誕生までさかのぼって「肉食」の歴史を論じたという壮大なスケールの一冊。タイトルからも薄々察せられるが著者は菜食主義者であり、基本的に肉食をやめるべき、という立場だ。

 

だが、人類が肉食を脱却するのはなかなか容易ではない。それは、人々が肉に対して「美味しさ」「富と権力の象徴」「丈夫な体をつくるという思い込み」などの様々な思いがあるからだ。この本ではそうした「肉の枷(かせ)」の正体を、一つ一つ丁寧に論じている。多くの教訓がありすぎてとても紹介しきれないが、私が特に印象を受けたのは、第10章「肉のタブーがある理由」。中でも、人類学者のマーヴィン・ハリスによって主張されるユダヤ教ヒンドゥー教徒の「肉のタブー」の起源の話は興味深かった。

ユダヤ教徒が豚肉を食べない起源は森林破壊?

たとえば、ユダヤ教では豚肉を食べることがタブーとされている。同様に、ヒンズー教では「神の使い」である牛の肉を食べることが固く禁じられている。こうした「肉のタブー」はなぜ生まれたのか、私はずっと不思議に思っていた。

 

筆者が提示する説は、非常に興味深い。たとえば、ユダヤ教の生まれたアラビア半島は、新石器時代の初期は今よりも緑が豊かで、豚がごろごろと転がって体温を下げることができるぬかるみや、餌となるドングリが豊富にあった。おそらくこの時代、人類は豚を気軽に食していたと考えられる。

 

ところが、農耕が始まって人口が増大して森が伐採されると、こうした豚が自然に育つ環境はなくなってしまった。それでも豚を育てるには、餌として人間が育てた穀物を与え、体を冷やすために大量の水を与える必要が出てきた。

 

一方、他の家畜である牛や羊や山羊は、麦わらや低木の茂みがあれば中東の暑い気候でも生きていけるし、乳を搾ることもできるので食料生産の観点から効率が良い。豚だけが、穀物と水という人類が必要とする資源を取り合う動物だった。

 

このことが、中東の土着宗教だったユダヤ教が豚の飼育をタブー視する教義をつくるきっかけになったのではないか、というのだ。つまり、環境問題が肉のタブーをつくったということになる。

ヒンドゥー教徒はかつて牛を食べていた

同じようなことがヒンドゥー教にも言えるという。

 

そもそも驚くべきことに、約4000年前の記録を見ると、ヒンドゥー教の前身であるインドの土着宗教・バラモン教の人々は、牛を殺してその肉を食べていた。彼らの聖典ヴェーダ」の最初期バージョンでは、牛を殺すことは禁じられていなかった。

 

ところが、紀元1000年くらいに、牛は聖なる動物とみなされるようになった。これも、きっかけは人口増加。森が伐採されて畑となり、ガンジス渓谷が不毛の地となると、干ばつが頻繁に起こり、農業を営むのが困難になった。

 

そこで、牛を食べてしまわず、次の世代の牛を生むために残しておいた農民たちだけがこうした危機を生き延びることが出来た。雄牛は犂を引き農耕の手助けをしてくれるし、牝牛は乳を出す。それに、牛が落とす糞は、土を豊かにする肥料にもなる。また、牛糞はコンロに火をくべるための燃料にもなる。

 

こうした理由から、ヒンドゥー教の教義に「牛を殺してはならない」という項目が、あとから付け加えられたのではないか、というのだ。

 

ユダヤ教ヒンドゥー教も、環境問題が出発点となって「肉のタブー」が生まれた。

日本人を菜食主義者にした「肉食禁止令」

にわかには信じられない話かもしれないが、実はこうしたパターンは、我が日本にも当てはまるという。

 

日本人ももともとは肉を普通に食べていたようなのだが、中世になって耕地が不足すると、森林は伐採されて田畑に変えられ、もはや、日本の国土に家畜や野生動物を養う余裕はなくなった。

 

そこで、当時の君主たちは何度か肉食禁止令を出した。最初は675年、晩春から初秋まで牛、猿、鶏、犬を食べてはならないというお触れを出したという。肉食禁止令は断続的に解除されたりもしたようだが、いずれにせよ、それから1000年以上後の明治維新まで、日本人は肉をほとんど食べない、「ベジタリアン」に近い暮らしをしていた

 

これまで、日本人が肉を食わないのは殺生を禁じる仏教の影響、という認識だったが、どうやらこれも、本当の理由は環境問題への適応策だった、と考えることもできそうだ。

 

こうした話は「目からウロコ」で面白かった。

「肉のタブー」方式は地球温暖化対策にも適用可能かも

さらに、ここからの延長で考えると、現在の人類が、地球温暖化という惑星規模のかつてない環境問題に直面していることが思い浮かぶ。

 

かつての人類が、食糧難という危機を乗り越えるために特定の種類の動物を食べることを禁じ、それが文化として定着したと考えると、現代の人類が現在直面している危機を乗り越えるために、肉食を禁じることも、決して不可能ではないように感じる。

 

肉食全体を禁じることがあまりに禁欲的すぎるというならば、ヴィーガンベジタリアンにならずに肉の消費量を減らす「リデュースタリアン」の生活様式を、現代の「戒律」的なものとして定着させることができれば、かつての人類のように危機を乗り越え、次の時代まで生き延びることができるのではないか。第10章の内容は、そんな希望を抱かせてくれるものだった。

 

他にも、色々と超重要な論点が目白押しの本だったので、折に触れて他の部分についてもこのブログで紹介していきたいと思う。

 

【今回紹介した本はこちら】