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FIREを明治に実践していた男・田中正造の先見性 土地投機で儲けて「セミリタイア」

 

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田中正造物語』(下野新聞社編/随想舎)



アーリーリタイア実現を目指す「FIRE」が話題に

昨今、「FIRE」という言葉が話題になっている。Financial Independence Retire Early の略で、ざっくり言えば人生の若いうちに投資なども駆使しつつ十分な資金を貯めて、仕事(特に、食うための仕事)を引退することを言う。

 

アーリーリタイア(早期引退)実現後はなるべく無駄な出費を抑えつつ投資を続け、元本が減らないように注意しながら少しずつ、金利や配当で得た利益を取り崩して生活していく。こうして家計の「永久機関」を実現することで日々の労働から解放されるということに主眼が置かれており、一攫千金大儲けをして贅沢三昧な暮らしをする、という古典的な「成り上がり願望」とは一線を画している。

 

2020年前後から関連の本がいくつか出版されたことでにわかにブームになっているこの考え方、実は、100年以上前の明治時代に日本で実践した人物がいた。足尾銅山鉱毒事件の解決に腐心したことで有名な政治家・田中正造である。

 

38歳で今後35年間の予算計画を策定

 

田中正造は1841年(天保11年)、栃木県の農家に生まれた。名主の家柄だ。その前半生は、官吏や商店の番頭など様々な職業を経験するも、激烈な性格が災いしたのか、どれも長続きしなかった。上司に対する殺人の疑いをかけられて投獄されたこともある(後に釈放)。

 

そんな正造は1877年(明治10年)に西南戦争が起きると、政府が紙幣を乱発しているのを見て、インフレの到来を予測。家財をすべて売却し、知人に借金までして土地を買い漁ると、翌年には地価が急上昇。3千円を上回る巨額の利益を手にしたという。当時の1円の価値は一説によれば2万円なので、3千円といえば現代の6千万円にあたる。

 

時に正造38歳。ここで彼は、実業家の道と、公共に尽くす政治家の道の二つのうちどちらを選ぶべきかを考えた末、後者を選択。次の三カ条の決意を固めた。

 

・営利的新事業のため精神を労せざること。

・政治活動に年120円を使い、今後35年間の運動に消費すること。

・養男女二人は相当の教育を与えて他に遣わすこと。

 

まずは1番目の、「営利的新事業のため精神を労せざること」に注目したい。巨額の富を手にした正造は、遊んで暮らすのでもなく、それ以上の利益を追求するのでもなく、公共のために人生を尽くすことにした。そして実際これ以後、区議、県議、そして衆議院議員として20年以上活動し、議員引退後も足尾鉱毒事件の解決に奔走するなど、死ぬまで公共のために働いた。いわば、食うための仕事(ライスワーク)から解放されて自分のやりたい仕事に専念する、一種の「セミリタイア」生活を送ったわけだ。

 

2番目の「政治活動に年120円を使い、今後35年間の運動に消費すること」も興味深い。つまり、年間の消費額を120円と定め、それを35年間続ければ営利活動を行わなくても家計を賄えると計算したわけだ。年間予算120円といえば先ほどの貨幣価値の計算では240万円なので、かなり質素な暮らしを想定していたことがわかる。まさしく「FIRE」の発想である。ちなみに、正造がなくなったのはこの計画を立ててからちょうど35年後、73歳の時であったというのは面白い偶然だ。

 

現代に置き換えるのであれば、38歳で6000万円の元手があり、投資をして元本を増やしつつ年間240万円の支出で、政治家として35年間活動することを計画した、といったところだろうか。十分納得がいく話である。

 

ただし、晩年には困窮していた

ただ、この話、実はそんなにきれいなエピソードだけでは終わらない。実際の政治活動には相当なお金がかかったようで、正造は資産家のスポンサーたちにかなりの政治資金を提供してもらっていたようだ。それに加え、1901年に国会議員を引退してからも鉱毒問題やダムに沈む村の救済活動に奔走したが、各所に巨額の借金を重ね、返済も滞っていた。38歳の時に立てた計画はどこかの段階で破綻していたと言わざるを得ない

 

それでも、正造が生涯を公共のために捧げ、日本の政治史に残る功績を残したことは間違いなく、その1歩を踏み出す決断を「FIRE」の考え方が支えたことは事実だろう。「FIRE」は一過性のブームというより、有意義な人生を送るための知恵の一つと見なしてもいいのかもしれない。まあ、元手を貯めるのがいつの時代も最大の課題だろうが……。

 

(参考文献・『田中正造物語』下野新聞社編/随想舎)