「無限」に採れる家庭菜園の菜の花が教えてくれた…「定常経済」で人生はイージーモードに!
2019年から小さな家庭菜園付きの賃貸物件に引っ越したことで、私の人生は劇的に変わった。
最初は恐る恐る始めた野菜の栽培。芋虫などの害虫が発生して、せっかく育ってきた野菜が穴だらけになり枯れていくのを見るなど最初は苦労したけれど、根気強く害虫を除去(文字通り、肉眼で見つけて取り除き、踏みつぶす!たとえベジタリアンになっても殺生は欠かせないみたいです)することで、2年目の今年は、そこそこの収穫を確保することができた。
中でも、特段感動を覚えたのは、菜の花だ。太い茎の先に細かなつぼみの部分がいっぱいついた、あれ。スーパーで何の気なしに買っている野菜だったけど、自分で育ててみて発見があった。
無限に採れるのだ。
我が家の場合、菜の花の種を買ってきて植えたのは2020年の秋だった。はじめは、害虫に食われて茎を齧り倒されるなどどんどん減っていったが、害虫駆除と追肥を続け、一定の大きさに成長してからは虫にやられることもなくなり、十数株が無事に成長。1月末には、ニョキっと伸びたつぼみの部分を収穫できるようになった。
このつぼみ、ご存知のように独特の苦みがあって、おひたしにしても、炒め物にしてもうまい。毎朝いただく味噌汁の具にも最適だった。
菜の花の凄いところは、つぼみを刈り取っても、数日するとまた新しいつぼみがニョキニョキっと何本も生えてくることだ。調子がいい時などは、刈り取った翌日にはもう生えていたりする。
このサイクル、せいぜい2~3回収穫できればいいと思っていたら、全然終わらない。2~3日に1回、収穫しては味噌汁や炒め物の具にしていたのだが、なんと、それが4月半ばまで続いた。2カ月半(75日間)くらいとして、20回~30回は収穫しただろうか。金銭に換算するのも野暮だが、同じ量をスーパーで買っていたら少なくとも5千円はしただろう。
4月半ばになって、さすがに生えてくるつぼみが細くなっていき、本体の葉っぱも茶色くカラカラに枯れて寿命が尽きたが、冬から春にかけての葉物野菜は、ほぼ収穫した菜の花だけで事足りた。
ここで私が考えたのは、「定常経済」との共通性だ。
「定常経済」とは、終わりなき「経済成長」を目指す現代の資本主義とは一線を画する概念だ。ざっくり言うと、ある一定の期間の中で、再生可能な量の資源よりも少ない量を消費し続ければ、そのエコシステムは半永久的に持続可能となる、という考え方だ。あくなき経済成長を目指した結果、気候変動や資源の枯渇に直面する現在の資本主義社会に対するアンチテーゼとして提唱されている。
菜の花も同じだ。欲張って、光合成でエネルギーを生産する葉っぱの部分までどんどん収穫してしまったりしたら、その株は数日しかもたないだろう。さらに極端な話、根っこからすべての株を引っこ抜けばその1日の収穫量を最大化することができるが、その後の収穫はゼロとなってしまう。
一方で、毎日、伸びてくるつぼみをちょっとずつ収穫していけば、たいして努力しなくても長期間にわたって食料を得ることができる。
これを現代社会にあてはめて考えたら、食べるに十分な量の食糧はそんなに無理さえしなければもう存在するのに、「経済成長を止めるな」という掛け声のもと、よくわからない競争に夢中になって、地球の資源をすごいスピードで枯渇させている状況が奇妙に思えてくる。
もっとミクロな視点で自分の働き方に置き換えれば、会社の売り上げの右肩上がりの増大のような「成長目標」のためにみんな競争を強いられ、クタクタになるまで働いて、結果的に良いアイディアも出なくなってみんなで沈没している、みたいな。みんなが自分が食べるのに必要な分だけ働いて、ほどほどの量を収穫していたら、こんな苦労をしなくて良くならないだろうか、と考えてしまう。
ちなみに、家庭菜園ではパクチーや茎ブロッコリー、ルッコラ、ほうれん草などの葉物野菜、ナスやゴーヤー、きゅうり、トマトなどの実がなる系の野菜も何度も収穫できる。家計に優しいのはもちろんだけど、植物の生命力を実感できて楽しいのでおススメです。