もうモノなんかいらないから、「働かないまとまった時間」がほしい
- 週45-50時間の労働が自分には長すぎる
- 「節約生活」で貧困への不安をなくせば、社会や地球にもプラスなのでは……
今週のお題「自分に贈りたいもの」
週45-50時間の労働が自分には長すぎる
自分に贈りたい物は何か。
40代になってもうすぐ2年経つんだけど、ここ数年思うのは、モノはもういらない、てことだ。
親が節約家でほとんどモノを買ってもらえなかった子ども時代の反動で、「自分が大人になったら過剰に節約するのはやめて、欲しいと思ったものは買うようにしよう」と思ってきた。
高級ブランドとかは興味ないけど、ジューサーとか肩叩き棒とかパンチグマシーンとか、「無駄遣いだったな」と後から思う買い物はたくさんしてきた。
そんな物欲も色々買って一巡したのか、今はもうほとんどなくなった。
何か好きなもんを自分に贈れるよ、て言われても、本気で思い浮かばない。
はっきり思うのは、「モノじゃなく時間が欲しい」ってことだ。
続きを読む『発行文化人類学』を読んで、「菌」の魅力にノックアウトされた
私の、今年のこれまでの漢字は「菌」。なぜかといえば、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんによる著者「発酵文化人類学」を読んで、菌の織りなす発酵の世界に魅了されたからだ。
小倉ヒラクさんといえば、近年の発酵ブームの火付け役とも言える存在。この本では、味噌、お酒、醤油といった食品の発酵の仕組みや、地域ごとの特色といったものがシロウトにもわかりやすいように語られている。
特に、著者が大学で勉強したという文化人類学と発酵を結びつけて、発酵食を見ればその地域の文化が見える、と説いた視点は、非常に面白いと感じた。
この本を非凡なものにしているポイントの一つは、なんといっても、小倉ヒラクさんの類まれなる「ストーリーテラー」としての才能だと思う。
それが垣間見えたのが、たとえば日本酒の分類について。彼は戦後の業界の変遷を辿りながら、
①物資の不足から、アルコールなどを人工的に足してごまかしていた、甘ったるく雑味の多い「おじさんの酒」の時代(パック酒とか)
②それへの反発から、精米度を上げて不純物を廃し、キリっとした澄んだ味をどこまでも追究した「高級料亭の酒」の時代(純米大吟醸とか)
③ 庶民が日常飲む酒から離れてしまった②への反発から、適度に雑味も取り入れて普段の食事にも合うようにした、カジュアルでおしゃれな「若い女の子の飲む酒」の時代(おしゃれなボトルの最近の色々な銘柄とか)
と分けてみせる。それぞれ、戦後の成長期、バブル期、バブル崩壊後の低成長時代の空気にマッチする酒が生まれてきた、というわけだ。
これまで、「日本酒大辞典」みたいな本を読んでも、種類が多すぎてさっぱり頭に入らなかった。でも、こんなふうにストーリー仕立てで歴史の視点から説明されると、それぞれの酒の立ち位置がスッと理解できる。目からウロコだった。
別にお酒の分類の本ではないのだが、こんな調子で、長野県木曽地方にある塩を使わない珍しい漬物「すんき」とか、いまだに発酵の原理が解明されていないという新島発祥「くさや」とかの物語が滔々と語られていく。これは、引き込まれないわけがない。
地域おこしとか、資本主義に対する贈与経済とか、とても多くのテーマが詰まった本なのでとても紹介しきれないが、ほぼ同世代の人間として、そして文章で仕事をしている者の端くれとして、小倉ヒラクさんの仕事に心底あこがれ、嫉妬したというのが偽らざる本音だ。
知っている人にとっては今さら、という話だったかもしれませんが、もし、まだ未体験の人がいたら是非読んでみてください。私も早速、発酵ワールドを体験すべくキムチを漬けてますし、昔途中まで読んだ漫画「もやしもん」も、またいちから読み直してます。小難しいことは置いておいても、発酵は趣味として楽しいです。
【今回紹介した本はこちら】
YouTube鑑賞より有意義な時間!? オンライン大学講座の「JMOOC」で立命館大学の「SDGs表現論」を受けてみた!
- 『シン・ニホン』の記述をきっかけに、MOOCの世界にコンニチワ
- 初めて受講した「SDGs表現論」が激アツだった!
- 大学生以来の「レポート提出」と、未知の「相互評価」を体験
- YouTubeとの違いと、オンライン大学講座を受けるメリットとは
『シン・ニホン』の記述をきっかけに、MOOCの世界にコンニチワ
安宅和人さん著の『シン・ニホン』を読んだときに、世界の大学の授業がオンラインで受けられる「MOOC(=Massive open online course) 」というものが普及しつつあるという話を読んだ。その日本版の一つとして「JMOOC」というプラットフォームがあるというので、モノは試しと早速、受講してみた。
続きを読む映画「香川1区」が使わなかった「共産党との距離感」フレーム
- 「強者」に挑む「弱者」というわかりやすい構図
- なぜ、普段見せられる「野党政治家像」と違って見えるのか
- 「香川1区」のような「構図」を他の地域でも見られれば……
「強者」に挑む「弱者」というわかりやすい構図
昨年(2021年)の衆院選を描いたドキュメンタリー映画「香川1区」を見てきた。面白かった。
“主役”にあたる小川淳也さんや、そのご両親、奥さん、娘さんらの人間性がみんな真っ直ぐなことが共感できたベースにあるものの、維新候補への出馬取りやめ要請騒動とか、何より、敵方である平井卓也さん陣営の方々の「オウンゴール」的行動(?)やらのハプニングもあって、最後まで見せ場満載だった。大島新監督、「ドキュメンタリーの神」がついてるなあ、と思った次第。
なんで、こんなに気持ちよく見られたのか。それを考えていて、気づいたことがある。この映画、共産党の「きょ」の字も出てこないのだ。
続きを読む実家で染みついた「ツギハギコンプレックス」を、靴下のダーニング修繕で克服した話
今週のお題「わたしの実家」
- 実家で子供の頃着せられたツギハギセーターのトラウマ
- 裁縫未経験男でも簡単にできた「ダーニング」
- 損得だけじゃない、自力でものを直すこと自体の喜び
実家で子供の頃着せられたツギハギセーターのトラウマ
まだ実家で暮らしていた子どもの頃、超がつくくらい倹約家だった母親は、私に大きなツギの当たったセーターを着せた。肘とか脇の部分だったと思うけど、けっこう目立つ縫い跡で、豪快にパッチを当てている感じだったと記憶している。
小学校のクラスメイトでそんなボロい服を着ている子は一人もいなかったから、当時の自分は随分みじめな思いをした記憶がある。ツギハギは自分にとって自分の家の貧しさの象徴であり、一種のトラウマだった。それ以来、「ツギハギはみっともない」という強固な刷り込みがあった。
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