もうモノなんかいらないから、「働かないまとまった時間」がほしい
今週のお題「自分に贈りたいもの」
週45-50時間の労働が自分には長すぎる
自分に贈りたい物は何か。
40代になってもうすぐ2年経つんだけど、ここ数年思うのは、モノはもういらない、てことだ。
親が節約家でほとんどモノを買ってもらえなかった子ども時代の反動で、「自分が大人になったら過剰に節約するのはやめて、欲しいと思ったものは買うようにしよう」と思ってきた。
高級ブランドとかは興味ないけど、ジューサーとか肩叩き棒とかパンチグマシーンとか、「無駄遣いだったな」と後から思う買い物はたくさんしてきた。
そんな物欲も色々買って一巡したのか、今はもうほとんどなくなった。
何か好きなもんを自分に贈れるよ、て言われても、本気で思い浮かばない。
はっきり思うのは、「モノじゃなく時間が欲しい」ってことだ。
24歳で会社に入ってから、ずっと勤めてる。週5日、朝から晩まで仕事。だいたい労働時間は週45-50時間くらい。1日8時間労働を基準とすると、週6日分働いているくらいの計算だ。
これが多いか少ないか、もっと過酷な条件で働いている人はいるだろうけど、自分の感覚では、労働時間が長すぎる。
もっと本が読みたい。もっと映画が見たい。もっと勉強がしたい。もっと人に会いたい。もっと旅行がしたい。もっと、ボーッと考える時間がほしい。
なら転職すればいい。そうです。転職は考えてます。ですが‥‥。
ほんとのところ、「働かない期間」が1年くらいほしい。
社会人になってからお年寄りになるまで間断なくずーっと働き続けなきゃいけない雰囲気になってる今の日本(私の周囲は特にそう)は、何かおかしい。数カ月~数年間はいわゆるサバティカル、長期休暇期間があって、そろそろ仕事とお金に飢えてきたころにまた働き始める、という調子で生きていきたい。
社会のせいにしちゃったけど、今だって自分が決断すればそれは出来る。
なのに出来ないのは、将来が不安だからだ。無職の40代に眉をひそめるような企業社会からドロップアウトしてしまえば楽になるかもしれないが、また元の企業社会に復帰することが叶わなくなり、貧困に陥るかもしれない。それが怖い。
「節約生活」で貧困への不安をなくせば、社会や地球にもプラスなのでは……
思えば、自分が1年くらい前から節約を始めたのも、そんな恐怖が根底にあった。
お金をかけないでも幸せに生きられる術を身につけていれば、企業社会からドロップアウトしても無理のない範囲で収入を得て、安心して生活できる。
もっと言うと、お金をかけないでも幸せになれるライフスタイルが社会に広まれば、貧困への不安の裏返しである「仕事中毒」の人間が減り、人々はもっと自分自身のことや、周りの人のこと、社会のことを考えることに時間が使えるようになる。そうなると、日本はもっと良い社会になるんじゃないか。
しかも、副産物として資源の消費量や温室効果ガスの排出量も減り、気候危機対策にもなるというまさに一石二鳥だ。
ここまでの話をまとめると、
①「コストのかからない生活」が「個人としての自由」につながる。
②さらにそれが他の人にも拡がることで、「社会の改善のための余力」につながる。
③「コストのかからない生活」をする人が増えれば、「地球環境の維持」にもつながる。
そんなビジョンの元で、節約生活を研究・実践する。それが今、自分が取り組んでいるテーマだ。
まあちょっと話が壮大になりすぎたけど、まずは、自分のために「働かないまとまった時間」をプレゼントしてあげることを目指したい。
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