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ビル・ゲイツの“本気”が見られる環境本を読んで感じた「新技術」頼みへの不安

 

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「セメントはどうするつもりか」という問いの重み

 

マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツの書いた環境本『地球の未来のために僕が決断したこと 気候大災害は防げる』(早川書房)を読んだ。

 

ビル・ゲイツと言えば、誰もが知っている大金持ち。宇宙旅行に行った日本の某経営者みたいな「金持ちへの道楽」かと思いきや、さにあらず。少なくとも彼が気候変動問題の解決のために多くのカネと時間を費やして本気で取り組んでいることは、この本を読めばわかる

 

中でも、彼の経営者らしい思考の枠組みは大いに参考になった。

 

たとえばビルは、温室効果ガスの量について挙げている何かを読んだとき、世界の温室効果ガスの総排出量である510億トンのうち何%かをはじき出すという。つまり、個々の問題が全体に対してどれくらいのインパクトを持つのを常に計算するのだ。この考え方は便利なので、大いに参考にしたいと思った。

 

彼が設立した団体「ブレークスルー・エナジー」が資金提供するのも、510億トンに対して将来的に1%を超えるインパクトを持つ(5.1億トンの温室効果ガス削減につながる)ものに限られるという。

 

この視点をさらに発展させ、ビルは、温室効果ガスを排出する人間の活動を5つのカテゴリーに分け、それぞれの排出量を下記のように示して見せる。

 

・ものをつくる(セメント、鋼鉄、プラスティック) 31%

・電気を使う(電気) 27%

・ものを育てる(植物、動物) 19%

・移動する(飛行機、トラック、貨物船) 16%

・冷やしたり暖めたりする(暖房、冷房、冷蔵) 7%

(『地球の未来のために僕が決断したこと』より)

 

温室効果ガス削減というと、再生可能エネルギーや電気自動車についてばかり考えがちだが、「電気を使う」「移動する」を合わせても全体の43%に過ぎない。発電以上に温室効果ガスを排出しているのは「ものをつくる」分野で、中でも、製造時に多量の温室効果ガスを出してしまうセメントと鋼鉄の問題は深刻だ。ビルは「セメントはどうするつもりか」という問いで、これら、見過ごされがちな問題すべてに解決策が必要だと主張する。

 

「再エネの限界」を新技術で解決するというビル・ゲイツの主張

 

電力の問題では、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの普及が重要だとしながらも、そこには限界もあると主張する。

 

一つには、世界中のすべての国が、アメリカのように再生可能エネルギーの利用に適した地域ではないということ。日照時間や利用できる風力、そして利用できる土地の広さなどに限りがあるというのだ。これには、平地が少なく太陽光発電パネルの設置が山林の破壊などの問題を引き起こしている日本のことも連想してしまった。

 

さらに、太陽光や風力のエネルギーは時々で変動し間欠的なので、特に、産業用に巨大なエネルギーを常時必要とする用途には向かない。このため、火力などで常にバックアップする必要があり、結局は温室効果ガスを排出してしまう。このためには、たとえば蓄電の技術でブレークスルーが起きて、安価で効率のいいバッテリーが登場する必要がある

 

ビルは、こうした問題は新技術によって解決可能だとして、「ブレークスルー・エナジー」を通じ、見込みのある研究に投資しているという。その中には、次世代型の原発核融合炉などの選択肢もあり、実際、2008年に自身が設立したテラパワー社が次世代型原子炉の開発を行っているという。

 

「技術でブレークスルー」か「総需要抑制」か

 

ここまで読んで、うーん、と考えさせられた。

 

ビルの主張は、気候変動問題を新技術の開発を通じて解決する、というところに主眼が置かれていて、実際、多額の資金をこの分野に投じている。それは評価されるべきことだ。

 

一方で、もし、その「新発明」が生まれなかった場合、世界はどうなってしまうのか、という問題は残る。ビルはその時の最後の手段として、人工的な物質を空に散布して太陽光を遮断する「ジオ・エンジニアリング」についても紹介しているが、『気候カジノ』(ウィリアム・ノードハウス著)でも書かれている通り、それは一歩間違えば多くの犠牲を招きかねない危険すぎる賭けだ。

 

最近、巷で目にするもう一つの主張は、右肩上がりで経済成長を続ける、大量生産・大量消費の資本主義社会自体を見直すべし、というものだ。たとえば、国際環境NGOFoEジャパン」の冊子には、こんな主張があった。

 

〈私たちが一番大事だと思うのは、大量消費・大量生産・大量廃棄が当たり前になっている今の社会の在り方を見直し、需要削減を推し進めていくことです〉

〈エネルギー多消費型の産業の在り方そのものを本来見直さなければならないはず〉

(FoEJapan NESLETTER vol.80 autumn2021より)

 

今の日本社会に生きていると、こうした主張は理想主義過ぎて現実味がない、と思われがちだが、一か八かの新発明に人類の将来を託すのと比べて、どっちに現実味がないのかと考えると、あながち無視されていい主張ではないと思う。

 

もちろん、ビルも消費者は家庭からの輩出を抑えろ、と言っていたりして、両者の主張が分かりやすく真っ向から対立しているわけでもない。「イノベーション」も「脱大量消費社会」も、どちらの解決策も人類にとって必要であり、これらは両にらみで考えていく必要がある。

 

柔道で言えばどちらも「一本」とるかたちで理想的に実現する可能性は低く、両方の発想から、不完全ながら「有効」をコツコツと積み重ねていくしかないのではないか……そんなことを思わせる一冊だった。

 

【今回紹介した本】