発想転換の踏み台

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GXの最前線は「食」にあり。『サステナブル・フード革命』が見せる世界の激変ぶり

サステナブル・フード革命 食の未来を変えるイノベーション(アマンダ・リトル 加藤万里子訳 インターシフト社。日本版は2021年12月発行)を読んだ。

 

気候変動を乗り越える方法としては、「加速主義」と「脱大量消費社会」という二つのアプローチがあるが、この本で語られる内容はどちらかというと「加速主義」に近い。

 

つまり、気候変動に由来する世界の食料危機を、テクノロジーの発展によって克服する、という思想だ。

 

象徴的だと思ったのは、第3章の「アフリカを救う遺伝子組み換え種子」。環境系の本では「悪者」扱いされることが多い遺伝子組み換え(GM)作物について、著者は、ケニアで不作による貧困に苦しむ農家を取材する様子を紹介しながら、害虫に強い「Btトウモロコシ」の導入を成功例として紹介する。

 

GM作物に対する各種の懸念の声も紹介しつつ、GM作物そのものが危険だというイメージについては、「すべての科学組織が無害だと結論づけている」として、少なくともデメリットよりメリットのほうが上回る、という立場に立っている。

 

これについては、なるほどと思わされる。GM作物の危険性を心配して使用を禁止している間に、気候変動に弱いアフリカなどの地域では多くの人々が餓死してしまう。では、サステナブルとされる有機栽培や不耕起栽培でそうした需要が賄えるかというと、圧倒的に量が足りない、というのだ。

 

著者も言うように、有機栽培や伝統的な栽培法なども残して共存させつつ、飢餓対策としてはGM技術も導入していかざるを得ない、という話は納得できる。

 

考えてみれば、寄稿変動をめぐる議論では同じようなジレンマに陥りがちだ。CO2を多く排出する石炭火力発電を止めることは必要だが、急速に行いすぎると、安価な電気を得られなくなり生命の危機に立たされる人々が出てくる。その人たちを見殺しにしていいのか、という問題は常に付きまとう。

 

この本では、GM作物以外にも様々な新技術が登場する。害虫にピンポイントで化学物質を噴霧するロボットを使えば、農薬の使用量を大幅に減らすことができる。ロボットを駆使した「精密農業」になれば作業効率のために一カ所に大量に同じ作物を植え付けている現状も変えることができ、作物の病気も減らすことができる、という話にはうならされた。

 

他にも、魚の養殖やビルの中の野菜の垂直農場、培養肉、海水の淡水化など、興味深い話が目白押し。農業にさかんにテック系の人々が進出している世界の状況を見ると、気候変動との戦いの最前線の一つが食品分野なのだということを実感させられる。

 

一方で、これらの技術を開発したとしても、世界の貧困や不平等が生まれる原因をそのままにしていたら、恐らくこの先も飢える人は出続ける。また、気候変動を止めずにエスカレートさせてしまったら、いつか、技術の進歩を越えた破綻が訪れるようにも思える。

 

技術の進歩は全力でアクセルを踏みつつ、違うところではブレーキもつくらなければいけないはずだ。つくづく難しい時代である。

 

エネルギー問題を俯瞰してざっくり理解できる良書『エネルギーをめぐる旅』

『エネルギーをめぐる旅』(古舘恒介著・英治出版を読んだ。石油大手のJX石油開発で技術管理部長を務める著者が、長年、ライフワークとしてエネルギーについて研究した成果をまとめた一冊。それだけに、著者が人生賭けて書いたという気合がなみなみと伝わってくる良書だ。

 

内容としては、人類の誕生からのエネルギーとのかかわりの歴史を紹介しながら、気候変動問題や資源の枯渇といった問題にこれから社会がどう対処していくかを考える、といったもの。エネルギー問題は今に始まったものではなく、実は古代文明のころから森林資源の枯渇というかたちで人類が繰り返し直面してきた課題だ、というあたりはなかなか参考になる。

エントロピー」を通して人類史を俯瞰する

著者のオリジナリティが出ているな、と思うところは、エントロピーの増大」という視点でエネルギー問題を見通したところだ。

 

閉じられた世界では、エネルギーは「秩序」から「無秩序」へと不可逆に移行していく。これが「エントロピーの増大」だ。ところが、地球のように外部(太陽)からエネルギーが与えられる世界では、例外的に「無秩序」から「秩序」への移行が起こることがある。

 

その典型的な例が、太陽エネルギーによって暖められた海水と大気によって渦を巻く複雑な構造が生まれる台風だ。こうしたものを「散逸構造」というが、人類の文明もまた、台風と同じように外部からのエネルギーを吸い込んで拡大していく一つの散逸構造という。

 

エネルギーを吸い込むスピードが速まるにしたがって構造(文明)はどんどん複雑さを増すが、結果としてエネルギーを吸い尽くしてしまうと、最終的は崩壊してしまう。だから、人類はエネルギー吸収の速度をスローダウンすべきだという。

 

まあ、当たり前といえば当たり前の結論なのだが、現実の裏にある不変の公式を垣間見せてもらったような気がして、なるほどと思わされた。

「四国を超える面積」に太陽光パネルを敷き詰められるか

もう一つ、面白かったのは、「では、人類は今後どうすべきか」というパートだ。

 

まず、筆者が期待をかけるのは「核融合発電」だ。原発より安全に、はるかに大きなエネルギーを生み出す夢の技術。これが完成すればエネルギー問題はほぼ解決、という評価なのだが、完成は100年後くらいと見なければならない。2050年くらいまでには深刻な事態が待ち受ける気候変動問題には全然間に合わない。

 

そこでいま必要なのは、太陽光や風力といった再生可能エネルギーの拡大。水力、潮力、地熱は利用できる場所が限られているため、やはり期待できるのはこの2つらしい。

 

では、太陽光や風力だけで電力を賄うことはできるのか。古舘さんの試算では、仮に太陽光だけで日本のすべての1次エネルギーを賄おうとした場合、国土の5・5%(四国全土よりやや広いほどの地域)に太陽光パネルを敷き詰める必要があるという。電力のみを賄うとしても、青森県に相当する地域がパネルで埋め尽くされる。

 

では、風力はどうか。洋上風力で考えると約70万基の風力タービンが必要になるが、風車同士の距離を相当空ける必要があるため、必要な面積は太陽光の10倍以上にも拡がる必要がある・・とのこと。

 

もちろん試算する人によってこのあたりの数字は変わってくるでしょうが、膨大な面積が必要になることは確かで、徐々にこれが進むとしても一朝一夕で達成できないことは明らかだろう。

 

これらを踏まえて古舘さんが提唱するのは、住宅の屋根に太陽光パネルを設置するなどして、分散型の再生可能エネルギー供給網をなるべく発達させつつ、不足分については海外での太陽光発電などから生産したエネルギーを水素燃料のかたちで輸入するサプライチェーンを構築する、などといった案だ。また、ここは賛否あるだろうが、過渡期の策としては原発も利用すべきだ、という。

 

そうこうするうちに核融合炉が完成すれば、やがて、太陽光パネルで埋め尽くされた大地も開放されるときがくる、という。本当にそうなるかはともかく、仮説としてはよく出来ている感じがした。

 

石油会社の人だけあって数字が具体的でリアリティがあり、私たちが大筋で目指すべき方向性について非常によく理解できた気がする。エネルギー問題を総論として理解するのには、非常に役に立つ本なのではないかと思う。

 

【今回紹介した本はこちら】

ロシアで感じた「祖国戦争」への誇りと、ウクライナ侵攻とのギャップについて

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ロシアへのウクライナ侵攻に、とても心を痛めている。21世紀にまさか、こんな露骨な侵略戦争が起こるなんて、いまだに信じられない。プーチン大統領は冷血ながら一定の自制心もあると思っていたが、大間違いだったと思い知らされた。


ロシアといえば、私の父が終戦直前のサハリン・ユジノサハリンスク(当時は樺太豊原市)で生まれたという縁もあり、ちょっと気になる国だった。2016年にはモスクワ、サンクトペテルブルクノヴゴロドの3都市を旅行し、2019年にはユジノサハリンスクにも旅行した。


どちらの旅行でも、人々はシャイでローテンション気味ではあるが内実は優しく紳士的で、けっこう好感を持ったのを覚えている。シャイでローテンションといえば我々日本人も同じだ。ロシアは怖い国というイメージがあったが、人々の暮らしや感覚は他の国と変わらないのだと思い、親近感が増した。


今回の戦争が始まって思い浮かべたのは、サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館にあった「1812年戦争の間」だ。


エルミタージュ美術館は、元々は帝政時代のエカチェリーナ2世が建てた宮殿がルーツ。1812年戦争の間は、1812年に侵攻してきたフランスの皇帝ナポレオンを撃退した「1812年祖国戦争」で活躍した300人以上の将官たちの肖像画が、天井まで届くほどに部屋の壁いっぱいに並べられていて、思わず背筋が延びるような威厳と迫力を感じた。


将官たちは皆、誇りに満ちた表情をしていた。一際大きな騎馬姿の肖像画は、当時の皇帝アレクサンドル1世のもの。名前だけが掲げられた空白の枠は、戦死したために肖像画が描けなかった人のスペースだという。犠牲も多かっただろうが、当時最強だったフランスを打ち破り、祖国を守り抜いたことへの誇りが部屋全体に満ち満ちていた。日本人の私ですら、ロシアの奮闘を誇らしく思ってしまったものだ。


この部屋の印象は強烈だったし、他にも多くの文化に接したこともあって、ロシアについて考えるとき、「彼らなりの理屈」というものにも思いを巡らせるようになった。つまり、ナポレオンのフランス、ヒットラーのドイツと過去2度にわたって自分たちを侵略してきた西欧に対する「負けじ魂」というか。自分たちは決して西欧の附属物ではなく、それに匹敵する独自の文化圏として発展していってやる、といった気概を持っているのだと。


今回の戦争はひとえにプーチン氏の歪んだ思想が始めたものだとは思うものの、その根底にはロシア人の西欧への対抗意識があり、それがうまく利用されてしまっているのだとも感じる。


それは「アジアの解放」というスローガンで戦争に駆り立てられた戦前の日本人にも似た状況にも感じる。西欧の植民地がどんどん広がってきているから「防衛のために」と朝鮮半島中国東北部を支配し、中華民国とは泥沼の戦いになった。今回、NATOの東方進出を食い止めることを大義名分にウクライナに攻め込んだロシア側の理屈と、一部共通する部分があると思う。

 

今回の戦争でのロシアは、間違いなく野蛮な「侵略者」となってしまっている。「1812年戦争の間」で見せた、あの祖国防衛の気高さとはほど遠い精神だ。プーチンは、かつてのナポレオンやヒトラーと同じ立場になってしまっており、ウクライナこそが彼らの「祖国戦争」を、いままさに戦っている。ロシアの戦車の進撃がウクライナの泥濘に阻まれていることも、なんとなく、ナポレオンやヒトラーの末路を連想させる。


そう考えると、たとえ一時的に何個かの都市を落としたとしても、プーチンに勝利がないことは明白だ。ロシアが一刻もはやくプーチンの支配から脱し、まともな人々が舵取りをする国になってくれることを願うばかりだ。

 

【DEEPLによるロシア語訳】

О разрыве между чувством гордости за "Отечественную войну" и вторжением в Украину в


Меня очень беспокоит вторжение Украины в Россию, я до сих пор не могу поверить, что в 21 веке может произойти такая вопиющая агрессивная война. Я думал, что президент Путин хладнокровен, но при этом обладает определенным самообладанием, но мне напомнили, что я сильно ошибался.


Россия была страной, к которой я относился с некоторым любопытством, отчасти потому, что мой отец родился в Южно-Сахалинске, Сахалин (тогда в Тойохаре, Сахалин) незадолго до окончания войны; в 2016 году я совершил поездку в Москву, Санкт-Петербург и Новгород, а в 2019 году - в Южно-Сахалинск.


В обеих поездках я помню, что люди были застенчивыми и не напряженными, но на самом деле добрыми и джентльменскими, и они мне очень понравились. Если говорить о застенчивости и низком напряжении, то мы, японцы, такие же. У меня было представление о России как о страшной стране, но теперь я чувствую себя ближе к России, потому что понимаю, что жизнь и чувства людей ничем не отличаются от жизни и чувств людей в других странах.


Когда на этот раз началась война, я подумал о комнате "Война 1812 года" в Эрмитаже в Санкт-Петербурге.


Эрмитаж изначально располагался во дворце, построенном царем Екатериной II в императорский период. В зале "Война 1812 года" на стенах зала, доходящих до потолка, размещены портреты более 300 генералов, сыгравших активную роль в Отечественной войне, в которой потерпел поражение вторгшийся в 1812 году французский император Наполеон. Все это выглядело настолько величественно и мощно, что позвоночник невольно удлинялся.


У всех генералов на лицах было гордое выражение. Самым крупным конным портретом того времени был портрет царя Александра I. Считается, что пустая рамка с указанием только имени - это место для тех, чьи портреты не могли быть написаны, потому что они были убиты в бою. Наверное, было много жертв, но весь зал был наполнен гордостью за то, что мы победили Францию, самую сильную страну в то время, и защитили Родину. Даже я, японец, чувствовал гордость за борьбу России.


Впечатление от этой комнаты было настолько сильным, а также от многих других культур, с которыми я соприкасался, что когда я думаю о России, я также думаю об "их логике". Другими словами, "дух поражения" по отношению к Западу, который уже дважды вторгался в их жизнь - наполеоновская Франция и гитлеровская Германия. Они не являются приложением Западной Европы, но полны решимости развивать свою собственную культурную сферу, чтобы соперничать с ней.


Хотя я считаю, что война была инициирована искаженными идеями г-на Путина, я также чувствую, что в основе войны лежит чувство российской оппозиции Западу, которое было успешно использовано.


Мне кажется, что эта ситуация похожа на предвоенную ситуацию с японцами, которых подтолкнул к войне лозунг "Освобождение Азии". Западные колонии распространялись все больше и больше, поэтому они взяли под контроль Корейский полуостров и северо-восточный Китай "для обороны" и вступили в напряженную борьбу с Китайской Республикой. На этот раз, я думаю, есть некоторые сходства с логикой российской стороны, которая вторглась в Украину для того, чтобы остановить расширение НАТО на восток.

 

Россия в этой войне, несомненно, стала варварским "агрессором". Это далеко от того духа благородства, который он проявил, защищая родину во время войны 1812 года". Путин сейчас находится в том же положении, в котором когда-то находились Наполеон и Гитлер, а Украина - это та самая страна, в которой они сейчас ведут свою "Отечественную войну". Тот факт, что продвижение российских танков блокируется украинской трясиной, несколько напоминает конец Наполеона и Гитлера.


Учитывая это, очевидно, что Путин не победит, даже если он временно сбросит несколько городов. Остается только надеяться, что Россия как можно скорее освободится от путинского правления и станет страной с достойными людьми у руля.


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家庭菜園でプチ自然農法に挑戦してみた驚きの結果

  • 雑草を抜かず、肥料もやらないワイルドな農法
  • 害虫との終わりなき戦いから解放??
  • 農業としては論争の的でも家庭菜園なら

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雑草を抜かず、肥料もやらないワイルドな農法

いま、16㎡ほどの家庭菜園がついている賃貸物件に住んでいる。ドアを開けたら畑があり、朝ご飯のお味噌汁に入れる小松菜を収穫できる。はっきり言って、最高である。


家庭菜園生活も3年目に突入し、ふと、思い立って始めてみたことがある。本で読んだ「自然農法」のエッセンスを一部取り入れてみようと思ったのだ。


一口に自然農法と言っても色々な流儀があるらしいのだが、何冊か本を読んでざっくり理解したところとしては、


・なるべく雑草を抜かない

・なるべく肥料はあげない

・草マルチで地面を覆う

・あまり水をやりすぎず、雨に頼る


といったところがあげられる。

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豆腐づくりは「ピッコロ大魔王」と「神様」の分離なのか

  • シンプルな自家製豆腐のレシピ
  • 意外と高いおからの栄養価
  • 手間はかかるけど「エース級」の価値

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シンプルな自家製豆腐のレシピ

 

ほぼ毎日、大豆のお弁当を食べるなど豆食にハマっている昨今の私。ならばと、大豆加工品の代表とも言える豆腐を家でつくることに挑戦してみた。


すでに多くのレシピや動画がネットに出回っているので、作り方についてはざっと触れる程度にする。

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大豆ミート市場の最先端は「生タイプ」 トップバリュの「大豆からつくったミンチ」を食べてみた

  • まいばすけっとで見かけた「生」の大豆ミート
  • 普通のひき肉とほとんど変わらない食感
  • 普及のためには、豚ひき肉よりも安くなってほしい!

トップバリュが2021年春から販売する「生」タイプの大豆ミートにトライしてみた。まだまだ流通量は少ないようだが、お味は問題なく、普及の可能性は大いに感じた。今後の課題として感じたのは値段。リアルな肉より安くなるかどうかが、大豆ミート普及の分岐点になるのではないだろうか。

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まいばすけっとで見かけた「生」の大豆ミート

イオンのプライベートブランドであるトップバリュ製の大豆ミート製品、「大豆からつくったミンチ」を、家の近所のまいばすけっとで購入した。

 

この製品、植物性たんぱく質を中心に原料を植物性のものに置き換えたVegetiveシリーズの中の一つで、2021年3月に発売されたという。

 

今まで、まいばすけっとにたまに陳列されているのをたまに見たが、買おうと思って店に行くと並んでいないことが多く、今回、数ヶ月くらい経ってようやくゲットできた。どうも、少なくとも私の住む東京都足立区においては流通量はそんなに多くないようだ。

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なぜ豚や牛がNGなのか。宗教の「肉のタブー」は環境問題と密接な関係があった!?

  • 人類が肉食を脱却できない理由を一つ一つ解説した大作
  • ユダヤ教徒が豚肉を食べない起源は森林破壊?
  • ヒンドゥー教徒はかつて牛を食べていた
  • 日本人を菜食主義者にした「肉食禁止令」
  • 「肉のタブー」方式は地球温暖化対策にも適用可能かも

マルタ・ザラスカの著書『人類はなぜ肉食をやめられないのか:250万年の愛と妄想のはてに』は、多くの示唆に満ちた本だった。特に印象的だったのは、ユダヤ教ヒンドゥー教といった宗教に「肉のタブー」がある理由についての記述。そこから考えると、人類が地球温暖化対策のために肉の消費量を減らすことも、決して不可能ではないのではないかと思えてきた。

『人類はなぜ肉食をやめられないのか』表紙

『人類はなぜ肉食をやめられないのか』(マルタ・ザラスカ著)

人類が肉食を脱却できない理由を一つ一つ解説した大作

フランスとアメリカを拠点に活動するサイエンス・ジャーナリストのマルタ・ザラスカの著書『人類はなぜ肉食をやめられないのか:250万年の愛と妄想のはてに』(訳・小野木明恵、インターシフト)を読んだ。

 

人類、というより生物の誕生までさかのぼって「肉食」の歴史を論じたという壮大なスケールの一冊。タイトルからも薄々察せられるが著者は菜食主義者であり、基本的に肉食をやめるべき、という立場だ。

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